「教養」とは何か

普段の帰り道。大学4年間を経て。
「教養とはなんでしょう」と、ある人から 聞かれたことがある。
そのときぼくは答えられなかった。

それからずっと考えていた。
“教養”学部に身を置いた人間として、答えを出すべきだと思った。
今改めて問い直したい。

教養とは。

家族・友人たちという第一の場所と
所属している企業という第二の場所に こだわるのではなく

社会における 普遍的な範囲の人に対して
愛をもって はたらきかけられること

もしも愛がなく、

第一の場にこだわれば 彼らを 生活を脅かすかもしれない 恐ろしい存在としてしか 見られず
第二の場にこだわれば 彼らを 自社のマーケティング上における 消費者としてしか 見られない。

かつて やってはいけない戦争が起こった。
「優秀な人が」学校を終え 就活をし 企業に入る。

そこで まじめに、自身の役割を果たす 勤務にこだわったとき。
成果は上げられる。数字を上げることで まわりからも認められる。
第一と第二の場の往復で  満足する。

でも、そこに教養は あるだろうか。
第一と第二の場のそとで なにが起き 人はなにを求めているのか。

それを知るために、
文学を読む人と対話する
人の内面を知るために。表面ではみえづらい 人の悩み苦しむ姿を。
ほんとうに人々が希求していることは なんだろうか。
そっと耳をかたむける。

すると、愛を抱くことがある。
自分の「家族」や「友人」以外に、手を差し伸べられる人がいることに 気が付く。
人はそうして 個々の物語をつくっていく。

途上国を訪れ エシカルブランドを確立するかもしれない。
フェミニズムかもしれない。吃音の人を救いたいかもしれない。子どもに寄りそう教師かもしれない。

同じように ぼくは、人間としての活動に こだわりつづけていたい。
それは小さなところからでも、実践できる。

そんな思考をしていて 帰り道に寄ったコンビニ。
いつも行きかけていたお店。
店員さんに言った「ありがとう」。

人としての感性は 失ってはならない。
この世紀でも 語り継いでいく。

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